預金を解約し、有価証券を一人の名義に移して売却し、代金がその一人の口座に入っている。そこから他の相続人への代償金を決めて遺産分割協議書を作る。この順序は課税上の問題を生むのか、という論点を整理します。
相続手続の実務では、金融機関ごとの手続の煩雑さを避けるため、相続人のうち一人が代表して払戻しや名義変更を行い、いったんその一人の口座に資金をまとめることがよくあります。有価証券は共有名義の口座を作れないため、換価するには誰か一人の名義を通すほかありません。
ところがこの状態から遺産分割協議書を作ろうとすると、「もう全額を一人が相続したことになっているのではないか」「今から他の相続人に渡す金銭は贈与ではないか」という疑問が出てきます。以下では、この疑問がどこまで当たっているのかを、条文・通達・国税庁の公表見解に沿って整理します。
被相続人には子も直系尊属もおらず、兄弟姉妹2名(AとB)が相続人です。相続財産は不動産・有価証券・預金で、課税価格の合計はおよそ4億円とします。
代償金を決めるタイミングそのものが課税原因になるわけではありません。遺産分割協議に法律上の期限はなく、相続人はいつでも協議によって遺産の全部または一部を分割できます(民法907条1項)。
課税上の分かれ目は、代償金を決めようとしている時点で、遺産分割がすでに成立していたと評価されるかどうかです。いったん有効に成立した分割を後から変えると、それは相続による取得ではなく相続人間の財産移転として扱われ、贈与税または譲渡所得税の対象になります。
そして実務上その分かれ目を決めるのは、提出書類の種類そのものよりも、「6対4の合意が、換価や払戻しより前から存在していたことを客観的に示せるか」です。
結論から言えば、払戻しや名義変更の手続をしたという事実だけで「その相続人がすべて相続した」と決まるわけではありません。理由は次の三つの層にあります。
共同相続された普通預金債権、通常貯金債権及び定期貯金債権は、いずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となる。
最高裁大法廷決定 平成28年12月19日(民集70巻8号2121頁)そのため金融機関は払戻しに際して相続人全員の関与を求めますが、これは金融機関が二重払いの危険を避けるための手続であって、相続人の間で誰にいくら帰属させるかを決めるものではありません。定期預金債権および定期積金債権についても同様に当然分割されないとされています(最判平成29年4月6日)。
遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合であっても、共同相続人は、その全員の同意により、当該処分された財産が遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことができる。
民法906条の2第1項しかもこの同意について、処分をした相続人自身の同意は不要とされています(同条2項)。設例に当てはめると、Bの同意だけでこの構成を取ることができるということです。払戻しがあっても遺産分割はこれからだ、という整理が民法上あらかじめ用意されているわけです。
ただしこの規定は令和元年7月1日施行で、それより前に開始した相続には適用されません(平成30年法律第72号 附則2条)。相続開始日によって使える道具が変わる点は注意が必要です。
共同相続人のうちの1人の名義で相続登記をしたことが、単に換価のための便宜のものであり、その代金が、分割に関する調停の内容に従って実際に分配される場合には、贈与税の課税が問題になることはありません。
国税庁 質疑応答事例「遺産の換価分割のための相続登記と贈与税」(関係法令通達 相続税法1条の4)不動産登記の事例ですが、「換価のために一人の名義を通す」という構造は有価証券でも同じです。とくに有価証券については、名義を一人に集めることに制度上の必然性があります。共同相続人の共有名義による特定口座という制度は存在せず、被相続人の特定口座内の上場株式等を移管する場合は相続人一人の口座に対して、しかも同一銘柄はすべて同じ口座へ移管することが要件とされているためです(租税特別措置法施行令25条の10の2第14項3号)。「一人の名義にしなければ換価できなかった」という説明が制度上裏づけられることになります。
金融機関ごとに一定額まで相続人が単独で払戻しを受けられる制度を利用した場合、その部分については法律上「遺産の一部の分割により取得したもの」とみなされます(民法909条の2後段)。上限は債権額の3分の1に法定相続分を乗じた額、かつ金融機関ごとに150万円です(平成30年法務省令第29号)。「払戻しは分割ではない」と無限定に考えるのは誤りで、この制度を使った部分だけは例外だという整理になります。
いったん有効に成立した遺産分割を後から変更して財産を配り直すと、それは相続による取得とは扱われません。
ただし、当初の分割により共同相続人又は包括受遺者に分属した財産を分割のやり直しとして再配分した場合には、その再配分により取得した財産は、同項に規定する分割により取得したものとはならないのであるから留意する。
相続税法基本通達19の2-8(分割の意義)ただし書遺産分割協議がいったん成立すると、相続開始時に遡って同協議に基づき相続人に分割した相続財産が確定的に帰属する。したがって、遺産分割協議をやり直して相続財産を再配分したとしても、当初の遺産分割協議に無効又は取り消し得べき原因がある場合等を除き、相続に基づき相続財産を取得したということはできない。そして、この場合、対価なく財産を取得したとすれば、贈与とみるほかはない。
国税不服審判所 平成17年12月15日裁決(裁決事例集No.70 259頁)この裁決は、当初の遺産分割協議が錯誤により無効であるという主張を退けて贈与認定を維持したものです。「間違えたのでやり直します」という説明は通りにくいことを示しています。例外として、当初の分割後に生じたやむを得ない事情によって合意解除された場合や、当初の分割による取得に無効・取消しの原因がある場合が挙げられていますが(名古屋国税局 文書回答事例 平成22年3月2日)、その立証は容易ではありません。
混同しやすい論点として、「遺言書の内容と異なる遺産の分割」があります。こちらは相続人全員の合意で遺言と異なる分割をしても原則として贈与税の課税は生じないとされていますが(国税庁 質疑応答事例)、これは「いったん成立した分割のやり直し」とは別の話です。前者が問題ないからといって後者も問題ないことにはなりません。
| 金融機関に提出したもの | 法的な評価 | 課税リスク |
|---|---|---|
| 銀行所定の相続手続書類のみ(相続人全員の署名押印と印鑑証明書)/遺産分割協議書は未提出 | 金融資産はまだ未分割と構成する余地がある。代表者は受領権限に基づいて保管しているにすぎない | 条件付きで低い ただし後述の黙示の合意の問題が残る |
| 「金融資産はすべてAが取得する」旨の遺産分割協議書 | 分割が成立済み。6対4への調整は分割のやり直しとしての再配分にあたる | 高い 最も危険な類型 |
| 一部の財産(不動産のみ等)についての協議書 | 一部分割。金融資産は未分割のまま | 条件付きで低い |
| 「換価と受領はAが行い、代金は6対4で分配する」旨が書かれた協議書 | 分割は成立済みで、内容も6対4 | 問題になりにくい これから作る書面は確認的なもの |
| 単独払戻し制度(民法909条の2)を利用 | その部分は一部分割による取得とみなされる | 限定的 上限150万円のため影響は小さい |
遺産分割協議は要式行為ではありません。書面がなくても相続人間の合意によって成立しますし、明示の合意でなくても黙示の合意で足ります。したがって「協議書を提出していない=まだ未分割だから安全」という推論は成り立ちません。
相続人全員の同意で多額の資金が一人の口座に払い込まれ、有価証券もその一人の名義に移して売却し、その状態で相当期間が経過しているという外形は、「その一人が全部取得するという黙示の合意があった」という認定を許す材料になり得ます。
だからこそ、実務上の力点は書類の種類そのものよりも、合意の先行を裏づける資料を確保することに置くべきだということになります。合意が手続に着手する前から存在していたことを示せれば、一人の名義への集中は換価と受領のための便宜であって帰属を決めたものではない、という説明が通りやすくなります。
このような事案は、代償分割(一人が全部取得して他方に代償金を支払う)としても、換価分割(6対4の割合で共同取得し、換価代金を分配する)としても構成できます。すでに一人の名義で売却済みであることは、換価分割構成を妨げません。
「換価分割」とは、共同相続人又は包括受遺者のうちの1人又は数人が相続又は包括遺贈により取得した財産の全部又は一部を金銭に換価し、その換価代金を分割する方法をいう。
相続税法基本通達19の2-8(注)通達の定義自体が「1人が換価すること」を想定しています。また、あらかじめ換価時までに換価代金の取得割合を定めている場合は、その取得割合に応じて譲渡所得を申告することになるとされています(国税庁 質疑応答事例「未分割遺産を換価したことによる譲渡所得の申告とその後分割が確定したことによる更正の請求、修正申告等」)。
相続財産を譲渡した場合の取得費加算の特例(租税特別措置法39条)は、代償金を支払っていると加算額が圧縮される計算になっています。
この式は整理すると 確定相続税額 × B ÷ (A+C) になります。代償金の分だけ分母が膨らむため、代償金が大きいほど加算額が小さくなります。圧縮率はちょうど A÷(A+C) です。
さらに代償分割では、代償金を受け取る側は何も譲渡しないため、その人の相続税額に対応する加算枠をまったく使えません。加えて、支払った代償金は取得した資産の取得費にも算入されません(所得税基本通達38-7(1))。一方、換価分割では各人が自分の課税価格を分母として加算を取れるため、加算の総量が大きくなります。財産構成や取得費の水準によりますが、有価証券に相応の譲渡益がある場合、全体の税負担で数百万円単位の差が生じ得ます。
ただしこの差益は主として現物を多く取得する側に帰属するため、換価分割を選ぶ場合は他方の取り分を若干上乗せする調整をしないと、他方にとってはかえって不利になることがあります。当事者間の配分を含めて設計する必要があります。
有価証券が特定口座(源泉徴収あり)で売却されている場合、源泉徴収税額は口座名義人にしか帰属しません(租税特別措置法37条の11の4)。他方で譲渡所得は持分に応じて各人に帰属することになるため、所得の帰属者と源泉徴収税額の帰属者がずれます。この精算方法について国税庁の公表見解は見当たらず、しかも特定口座の譲渡所得はいったん申告に取り込むと後から除外できません(租税特別措置法関係通達37の11の5-4)。換価分割で組むのであれば、所轄への事前照会を検討する価値があります。
実務の単純さを取るなら代償分割、税負担を取るなら換価分割という選択になります。すでに一人の名義の特定口座で売却済みという事実を重視すれば代償分割のほうが処理は素直ですが、「有利だから代償分割」ではない点は押さえておく必要があります。
この類型で最も金額が大きく、かつ「気づいたときには手遅れ」になりやすいのが期限の問題です。
参考になる考え方として、国税庁 質疑応答事例「遺産分割後に認知を受けた者に遺産の一部を給付した場合の譲渡所得の課税」は、形式的には代物弁済にあたる場面について、相続人全員が連署した最終的な遺産分割に関する協議書等によって現物分割と認められる場合には譲渡所得課税を行わない扱いが相当としています。相続人全員が連署した書面で実態を明らかにすれば、形式ではなく実質で判断され得るという方向性を示すものです。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 代償金の額と課税価格 | 代償債務の額が代償分割時の通常の取引価額を基に決められているときは、相続開始時の相続税評価額との比率で調整した金額によります(相続税法基本通達11の2-10。代償債務の額×相続開始時の価額÷代償分割時の価額)。上場株式の相続税評価額は課税時期の終値と当月・前月・前々月の各月平均額のうち最も低い額によるため(財産評価基本通達169)、売却価額とは構造的にずれます。この調整を織り込まないと両者の相続税負担が想定とずれます。 |
| 手取額ベースで配分することの意味 | 譲渡所得税を負担したうえで税引後の額を配分する場合、その譲渡所得税は本人の所得に対する税であり被相続人の債務ではないため、相続税の課税価格を減らしません。結果として、現物を取得した側は手元に残らなかった譲渡所得税相当額についても相続税を負担する形になります。 |
| 相続開始後の果実 | 遺産分割の効力は相続開始時にさかのぼりますが(民法909条)、相続開始後に遺産から生じた法定果実にはこの遡及効が及びません。賃料債権は遺産とは別個の財産であり、各共同相続人が相続分に応じて分割単独債権として確定的に取得し、その帰属は後の遺産分割の影響を受けないとされています(最判平成17年9月8日)。相続開始後の預金利息・賃料・配当は、合意した配分割合ではなく法定相続分で帰属します。 |
| 代償金は金銭で支払う | 不動産などの現物で代償債務を履行すると、履行した時の時価で譲渡したものとされ、支払った側に譲渡所得課税が生じます(所得税基本通達33-1の5)。受け取った側もその時の価額で取得したことになり、被相続人からの取得費・取得時期の引継ぎは生じません(同38-7(2))。 |
| 登録免許税 | やり直しと評価された場合の影響は贈与税だけにとどまりません。不動産の移転登記の登録免許税は、相続によるものであれば1000分の4ですが、贈与や交換によるものと扱われると1000分の20となり5倍になります(登録免許税法別表第一第1号(2))。 |
| 名義変更は「推定」であって反証の余地がある | 対価の授受なく不動産・株式等の名義変更があった場合は原則として贈与として取り扱うとされていますが(相続税法基本通達9-9)、これは推定にとどまります。贈与の意思に基づくものでなくやむを得ない理由による場合や錯誤による場合は例外となることが、名義変更に関する個別通達(昭和39年5月23日 直審(資)22ほか)に定められています。 |
| 分別管理 | 他の相続人の持分相当額が一人の口座に混在したままだと、その相続人の債権者による差押えの対象になり得るほか、不測の事態が生じた場合に権利の実現が困難になります。可能であれば別口座に分けて管理し、記録を残します。 |
| 連帯納付義務 | 相続税には連帯納付義務があり、相続または遺贈により受けた利益の価額に相当する金額を限度として、相続人は互いに連帯して納付の責めを負います(相続税法34条1項)。 |
| 準確定申告 | 被相続人に不動産所得等があった場合、申告期限は相続の開始があったことを知った日の翌日から4か月です(所得税法125条)。相続開始日によってはすでに徒過している可能性があります。 |
| 納税資金との競合 | 代償金を先に支払うと相続税の納付原資が不足するおそれがあります。支払時期を納付後に設定するか、納税資金を留保する形にしておくと安全です。 |
| 印紙税 | 遺産分割協議書そのものは課税文書に該当しません(印紙税法基本通達 別表第一 第1号の1文書の8)。ただし共有不動産の持分の譲渡契約書という形にすると課税文書になります(同7)。 |
| 相続人の確定と遺言 | 兄弟姉妹が相続人となる事案では、子・孫がいないこと、直系尊属が全員死亡していること、他の兄弟姉妹および先に死亡した兄弟姉妹の子(甥姪。代襲相続は一代限り)がいないことを戸籍で確認します。一人でも漏れれば分割協議は無効です。なお兄弟姉妹に遺留分はありません(民法1042条)。 |
| 相続税額の2割加算 | 兄弟姉妹は一親等の血族にも配偶者にも当たらないため、相続税額に2割が加算されます(相続税法18条1項)。 |
| 相続登記の申請義務 | 所有権を取得したことを知った日から3年以内に登記申請が必要で、正当な理由なく怠ると10万円以下の過料の対象です(不動産登記法76条の2、164条1項)。不動産だけ先行して協議書を作る実務は、この義務への対応が動機になっていることが多いといえます。 |
一部分割そのものは適法です。民法907条1項が「遺産の全部又は一部の分割をすることができる」と明記しています(平成30年法律第72号による明文化、令和元年7月1日施行)。
ただし、金融資産がすでに一人の口座に集約されている事案では、不動産を含めた全財産を1通の協議書で確定させるほうが安全だと考えられます。
どうしても先行させる場合は、その協議書に「本協議は遺産の一部についての分割であり、その余の遺産については別途協議する」旨と、金融資産を便宜上一人の名義で保管している経緯の確認条項を必ず記載しておく必要があります。